2019年2月2日。Twitterの投稿を見かけて思わず申し込みを実施し、戦前から現在まで技術資料やマイコンなどの現物を後世に伝えて行きたいという想いと、当時の雑誌、マイコンの実機を拝見しての懐かしさと再発見という大変濃い時間を過ごさせていただきました♪
夢の博物館・マイコン博物館・模型とラジオの博物館公式サイト
クリックできる目次
キッカケ
1980年に神奈川県相模原市に引っ越してきたとき、クラスの友達の家にPC-8001+グリーンモニタがあり、友達の家に入り浸ってI/Oのマシン語のゲームを打ち込み、カセットテープに保存して遊ぶようになったのが、私とマイコンとの出会いでした。
先日、Twitterの投稿を見て思わずコレは!と思い、早速申し込み、初回である2月2日11時からの回に参加できることになりました。
マイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館 ロケーション・行き方
マイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館はJR青梅線東青梅駅から徒歩3〜4分の場所にあります。
公式サイトのアクセス情報
JR中央線・青梅線・南武線の乗換駅立川駅から30分。JR青梅線の奥多摩行き、青梅行きに乗車し、東青梅駅で下車します。
青梅駅の一つ手前の東青梅駅がマイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館の最寄りの駅です。
東青梅駅改札を出て右に進み、スーパーマルフジ、みずほ銀行のある北口から出ます。
東青梅駅北口ロータリーのみずほ銀行の左側を通り、交差点を渡らずに右折します。
東青梅駅北口ロータリーのみずほ銀行側からの眺め。
進行方向右側の歩道を直進し、りそな銀行を左手に見ながら交差点を細い道の方に進んで1分で3階建てのビルが現れます。
ココがマイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館のある建物です。
賀根井ビル。が、入っているビルの名前です。
入館できる日は?この案内板が置いてあると思うので見逃さないようにしてください。
駐車場部分から右手の入り口を入り、Uターンの方向にある階段を登った2階にマイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館の入り口があります。
オープン時にはFELIX THE CATの案内板が「OPEN」、クローズ時には「CLOSE」となっています。
マイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館は2019年2月2日時点ではオープン準備中です。が、2019年2月中にはオープンし、春休みには子どもたちが訪問できるようにしたいとのことでした。
マイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館は私設の施設で、ビルの一室の一部分のコーナーがそれぞれの博物館・図書館となっています。
「コンピュータの歴史」を学ぶセミナー
今回は正式オープン前の「コンピュータの歴史」を学ぶセミナーに参加という形での訪問となりました。
セミナー申し込みから受講までの流れ
申し込みから受講までの流れとしては、
- Twitterの投稿を見て、
- 公式サイトのお問い合わせからセミナーを申し込みし、
- 受講日を含む受付メールを受け取り、
- 当日の参加。
という流れでした。前日にはリマインダーメールもいただきました。
2019年2月2日(土) 参加者
参加者は全員で6名。男性5名。女性1名。
参加者同士での深い話はできませんでしたが、大学院生から還暦を迎えられた方、大学でコンピュータ史を教えられている方など、幅広い年齢層、職種の方が参加されていました。
時期が早かったのか一番参加してもらいたいであろう小中高校生の参加は今回はありませんでした。
もしかしたら初回ということで絞っていた可能性もあると思いますけど。
2019年2月2日(土) セミナー内容
夢の図書館・マイコン博物館・模型とラジオの博物館を設立した目的、想いについてのお話から、マイコン博物館の展示物を紹介しながら、
- マイコン登場に至るまで
- マイコン登場
- マイコンの終焉
までの一連の歴史・流れを当時の裏話、想像までを含めながらお話いただきました。
後世に残していくために強固な岩盤、強固な建物、富士山噴火にも影響の少ない場所…等を鑑みて、現在の東青梅の位置で開館することに決めたことについては強い意志を感じました。
知ってる話半分、知らない話半分で、興味深く話を伺うことができ、当時を思い出しつつ、とても楽しく勉強になりました。
セミナー終了後は雑談形式での懇親会となり、よもやま話に花が咲きました♪
私はセミナー終了後、コンピュータの歴史を研究している大学院生の方と館長の話を伺いながら、マイコンの実機を触ったり眺めてみたり、マイコン雑誌を眺めてみたりと2時間ぐらい見学させていただきました。
正式オープン後はマイコンの実機で当時の雑誌のプログラムを入力したり遊んだりすることもできるようなので、その際には、再訪させていただきたいなー。と思いました。楽しかった!!
マイコン博物館
マイコン博物館は入り口入ってすぐ右側壁一面がメインの展示となります。
博物館だけあって、入口手前から奥に向かって順にマイコンの一連の歴史がわかるように展示されています。
マイコン登場まで
マイコンが登場するまでの背景、使われていた機器が展示されています。
計算尺、手動計算器、機械式電子計算機、電卓・プログラム電卓など。戦争がいかに素早く弾道計算するか、暗号解読するかという需要を生み出し技術の進歩を促したのは事実。
計算尺のホンモノって始めてみたかも♪触れます!
手回し式計算機。BUSICOM HL-21。
マイコン(コンピュータ)が登場するキッカケとなった一つは、ソ連のスプートニクの打ち上げ成功から。ロシアから入手した精密模型。
実際に大きくマイコン(コンピュータ)の登場に寄与したのが、人類を月に送り込むアポロ計画による技術革新と終焉によるエンジニアの流出。
アボロ13号関連メンバーに配られた貴重な精密模型が展示されています。
館長よりメッセージをいただきました。
先日のセミナーで詳しく紹介できなかったアポロ13号の軌道を再計算した「ポピー・ノースカット」女子をインタビューした映像を見つけましたのでご紹介します。
最新版 アポロ13号 奇跡の生還
https://www.youtube.com/watch?v=CKRXWB3lQ1k
1:16:30と、1:46:00にポピー・ノースカット女子が紹介されています。
0:28:00にアポロ着陸船のロケットエンジンの設計者のインタービューがありますが、手元で説明に使用しているアポロ13号の模型は、マイコン博物館にあるのと同じ模型です。
他の番組でもアポロ13号に関係した技術者がインタビューを受けていますが、同じ模型を机の上に飾っています。
模型ですが、アポロ13号に関わった方たちとつながれたのは嬉しいです。
アボロ計画を推進したロケット、サターンV型ロケットの模型。組み立てると人の背の高さ以上になるとのこと。
マイコンキット時代
アボロ計画の終焉により、NASAから放出されたエンジニアがベンチャー企業を起こしてコンピュータの自作組み立てキットを作ったのがマイコン時代の始まり。
超貴重な世界初のトランジスタ式電卓。これらを中心に産業的にはビジネス用として卓電と呼ばれる卓上型電子計算機が登場。このときは、まだまだ個人には手が届かない状態。
なんとビックリマニュアルまで付いた状態で展示。スミソニアン級のレア物とのお話。
マイコンのキッカケとなったのが伝説のALTAIR 8800。Intel 8080を搭載した個人向けの組み立て式(キット)コンピュータが1975年に500ドルで発売!
コピー機のIMSAI 8080。月刊ASCIIの表紙に登場したらしいです。
(左)Televideo TVI-912C、(右)Lear Siegler, Inc ADM-3? CP/Mマシンのビデオ端末として使用されたようです。
VECTOR 3(The Vector Graphics VIP)。Intel 8080搭載のCP/M端末。
Vector Graphics Vector 3 (VIP)
日本でエンジニアのトレーニングキットとして発売されるも多くのホビーストに受け入れられたNECのTK-80。当時で8〜9万円ぐらいしたらしいです。
TK-80御本尊。7セグメントLEDと16進キーボード。今の人から見たらコレ見て何するの?っ感じですよねー。
TK-80BS。TK-80でBASICを動かすためのキット。
TK-80でBASICを動かすためのモニタ、キーボード、カセットテープをセットにしたCOMPO BS/80。
プロセッサをIntel 8085にアップしたNEC TK-85。
富士通のMB8843と言う4ビットCPUを搭載した完成品キットSHARP MZ-40K。MZの始祖らしいです。
世界的なマイコンブームのキッカケとなったスティーブ・ウォズニアックによるApple I。マイコン博物館にあるのは再現機。Apple Iは実はベースになったモデルかあったようだ。という噂話も…
マイコン黎明期
キット時代を経て、マザーボードに電源、キーボードなどを付与した完成品モデルが登場し、世界で本格的なマイコンブームが始まりました。
世界的なマイコンブームのキッカケの1機種がApple II。
NHK趣味講座「マイコン入門」の番組中でアメリカ製のマイコンとして登場した実機!?
ほとんど現行キーボードと変わらない配列ですが、一部POWERキーや ‘:’、’*’キー、’∧’キーなどが面白い位置にありますね。
セミナー中に秘蔵のブツが登場。
RockwellのR6500。AIM-65。プリンターや2パスアセンブラを搭載。もしかするとApple IIのベースかも、、、?
Commodore PET-2001シリーズ。マイコン雑誌に広告が掲載されているのは見たことありますが、実機を見たのは初めてです。
なんとビックリ日本語(カタカナ)キーボードを搭載!!
Radio Shack TRS-80。こちらも私はマイコン雑誌の広告でしか見たことのないマシン。
Radio Shackって無線・ラジオ機器を売っていたラジオ屋さんだったんですよね。こんなところで出会えるとは…
日本の群雄割拠時代
世界的にはApplp II、Comodole PET-2001、TRS-80などがマイコンブームを切り拓いていましたが、日本ではSHARPとNECのを中心に富士通、日立、ソニーからもマイコンが登場し群雄割拠の時代となっていました。
本格的なMZシリーズの元祖。SHARP MZ-80K。本体、キーボード、モニタ、カセットテープが一体型となった機種。OSがROM化されていないクリーンコンピュータがウリでした。
MZ-80K2E。MZ-80シリーズ10万台突破記念の廉価版。田の字のキーボード配列が特徴的ですね。
320×200の高解像度が印象的だったMZ-80B。高級感もアップ!
シャープがMZならNECはPC-8001。NEC PC-8001(本体)、PC-8048K(カラーモニタ)、PC-8031(5インチFDD)。私がパソコンにののめり込むキッカケ。当時マイコン雑誌のマシン語プログラムを意味もわからずに打ち込んでカセットテープに保存して遊んでいました。
標準メモリは16KB(GBでもMBでもなくKBです)。拡張して32KBでした。HAL研究所の増設ボードPCG-8001で詳細グラフィックと音に憧れたものです。
日立ベーシックマスターシリーズ。レベル3が一番有名でしょうか。私の周りには持ってる人がおらず初めて見ました。
SONY SMC-70。SONYも独自のマイコンを発売していました。3.5インチフロッピーを早くから搭載した意欲的な機種だった記憶があります。
SONY SMC-777C。かなりグラフィックに力を入れていたような印象がありますが、近くに持ってる人はいなかった…
海外のマイコン
ここで一旦、海外のマイコンを。
Apple II互換機。現在なら真っ黒なもの。日本もそういう時代を経て来たんですよねー。
Texas Instruments TI-99/4A。すみません。まったく知りませんでした。…今は半導体に特化してますが昔はマイコン出してたんですね…
ATARI 400。ATARIのマイコン。メモリは8KBだったようです。
Commodole 64。マイコン雑誌でよくゲームが載っていた。世界的にはApple IIよりも売れた機種です。実物は初めて見ました。
モニタカパーの継承が特徴てきなCommodole PET 3032。写真はマイコン雑誌で見かけたことがあるものの、実機を見たのは初めて。
曰くつきなApple III。実物見たのは初めて。
MacのベースとなるGUI、マウス操作を搭載したLISA。曰くつき…
MOドライブから起動するというNEXT。Appleを追い出されたスティーブ・ジョブズが作った会社。思想は良かったけどハードがまだまだ追いついてない感あり。実物は初めて見ました。
ビジネスパソコンの流れ
日本では、NEC PC-8001、SHARP MZ-80シリーズが隆盛を誇った後、マイコンの流れは大きく2つに分かれていきます。
1つは漢字を画面に表示する。ドットインパクトプリンタで帳票を表示するなど、より高機能・高性能なビジネス用途を主としたマイコン。もう1つはより廉価で入門用、ゲームなどの用途を主にしたマイコンです。
ここでは先にビジネスパソコンの流れから。
NEC PC-8801。グラフィック解像度をPC-8001の160×100から漢字表示可能な640×200と飛躍的に向上させた機種。私はこの後のPC-8801mkIIを中2で勝ってもらい家の経理プログラムを作って、以後何機種か変えながら20年以上使ってました。
富士通FM-8。PC-8801に対抗して発売された機種。MPUとして6809を計算用とグラフィック用で2つ搭載。タモリが広告に出てたのが印象的。以後ホビー向けにFM-7、77などが発売されましたね。
SORM M243。そう言えばSORDの名前も昔はかなり聞きましたね。私は小学生〜中学生のころであまりSORDのビジネスパソコンには詳しくないんですが…8インチフロッピーディスクは社会人になって初めて見た口です(^_^;;
SORD M223markIII。よくわかりません…
沖電気if800。8インチFDDが搭載されています。マイコン雑誌の広告でしか見たことがありませんでした…
HP 85。HPって言うとコンピュータ中心のような印象を受けますが遠い昔は計測機器のメーカーだった記憶があります。パソコンに大きく参入したのはCOMPAQを買収してから。かなー。
IBM PC-XT。元祖IBM PC。このIBM PCをキッカケに16ビットCPU、汎用パーツ、OSとしてPC-DOS(MS-DOS)が使用され、PC/ATの互換機ブームを生み出す礎となりました。
ホビーマイコンの流れ
NEC PC-8801 mkII SR以降のPC-88シリーズや富士通FM-7以降などビジネス用途にも使えるけど、ホビーで使う人がいたののは確かです。
が、10万円を大きく超える価格は誰にでも買えるものではなく、高校生以上、かつ親の支援がないとなかなか入手するのが困難でした。
5〜6万円でマイコンを触ってみたい。ゲームをやってみたい。中学生以下でもマイコンやってみたい。という層が一定数以上いたのは確かで、廉価版、入門版的なマイコンも数多く販売されました。
マイコン博物館でもいくつか展示されていました。
ナショナルJR-100。消しゴムのようなキーぽーどが特徴。そう言えば中古をゲットしたはずなんだけど捨てちゃったかな?実家の物置部屋にまだあるかな…
タカラトミーのぴゅう太。16ビットマイコン、日本語BASICが特徴のゲーム用途向けのマイコン。カートリッジでゲームが提供されていましたね。デパートで見かけたぐらいかなぁ…
MSX機。ナショナルCF2000。PC-8801mkIIMRとか持ってたんでMSXには手を出さなかったんですよね…なのでよくわかりません。
SONY HB-101。ソニーはPC-88、MZ-80、X1の市場を崩すことができず、SMCシリーズからMSXのHBシリーズに方向転換。よく知らないけど…
MSX機。Pioneer PX-7。パイオニアがMSX出してる時代もありました…今は亡きLaserDiscと連動しているのが泣かせます…
任天堂ファミリーコンピュータ+ファミリーベーシック。ベーシックのカートリッジとキーボードがセットで付いてきたはず。私は触ってないんですがマニアはハマった感がありますね。
日本の家庭で使われるミドルからハイエンドのパソコンは、MS-DOS〜Windows 3.1時代までNEC PC-9801がビジネス&個人ユースで一強。
その他、マニアックなゲーマーを中心にSHARP X68000+OS9、富士通FM-TOWNSがありました。
廉価版なパソコンは、良くも悪くもMSXがその後MSX2、MSX2+、MSXturboRと牽引していったと思っています。
コンピュータの周辺機器
マイコン(=個人用)ではありませんが、一連のコンピュータ機器の周辺機器の一部も展示されていました。
紙テープ巻取り機。マイコンが登場する前?いや登場以降も?汎用機と呼ばれる業務用・科学技術計算用の大型コンピュータでは紙テープが入出力・記憶媒体として使われており、その紙テープをまとめるためにテープリワインダー(巻取り機)がありました。
中央の白いアクリルのスリット部分に紙テープのしっぽをはさんで…
反対側のレバーでクルクルと巻き取っていきます。初めて見ました…
同じく汎用機(メインフレーム)で多く使われていた磁気テープ。1993年に入社したとき、マシンルームに置いてあるのは見たことありますが、私は取り扱ったことがありません。
磁気ディスクパック。先輩から話は聴いたことがあるんですが、実物見たのは初めて。
HPのディスクパックです。
個人的には一番馴染みのある5.25インチ(5インチ)フロッピーディスク。PC-8001のときは1D(片面倍密度)160KBと2D(両面単密度)320KBの記憶容量。PC-8801からPC-9801では2D、2DD(640KB)、そして2HD(1.2MB)が標準でしたね…3.5インチは2DD(640KBまたは720KB)、2HD(1.2MBまたは1.44MB)が主流でした。
右上の切り欠き(ノッチ)を銀のアルミテープでふさぐと書き込み禁止になります。
8インチ、5インチフロッピーディスクは磁気媒体が窓からむき出しなので、傷ついたり、時期を帯びたものを近くに置いたらアウトで、読み取れなくなることもしばしばありました…
周辺機器じゃなくてソフトウェアですが。Windows 1.0。まだウインドウを重ねることが出来ずタイル状に並べるのがやっとでした。
ウインドウが重なっているところを見るとWindows 2.0かな。初めてみました。爆発的な人気を得たのはGUIがメインとなったWindows 3.1から。
実機体験コーナー
今回は体験できませんでしたが、オープン時には実機体験コーナーが用意されるとのことでした。
現在は日焼け防止で黒い膜がかけられています。
日焼けすると変色&硬化によるひび割れなどが発生するので要注意ですからね。
マイコン博物館の実機体験コーナー。カセットテープなどでセーブなどもできるようです。
ペラっとめくってみるとPC-88の実機&モニタが!!
NEC PC-8801MA2。8ビット番のPC88の最終盤のはず(16ビットCPUとのハイブリッド機PC88VAという機種もありましたね)。実はまだ実家にあります。電源入るかな…
一番ピッタリなカラーモニタはNEC PC-KD854。これまた実家にあるはず…
パピコンで一斉を風靡した廉価版パソコンの雄PC-6001シリーズ。そのモニタがNEC PC-60m43。実際にはPC-6001mkIISRやPC-6601SR用だったのではないかと…詳細失念しておりますが。
実際に手に触れてみたいですね。
模型とラジオの博物館
マイコン博物館と反対側の棚一列が模型とラジオの博物館です。
今の子は組み立て式のラジコンとか知らないんだろうな…アマチュア無線もね。
模型とラジオの博物館。手前や上段に模型、その他には無線機が展示されています。見る人が見れば延髄の品のはず…
Uコンのキット。軽量なバルサ材を組み立てて作ります。送受信機不要で手軽に安く飛ばせたので、60年代の中学生から大人までが楽しんでいました。このようなキットから綺麗な飛行機を組み立てることは、大いに勉強になっていました。
プロボが出る前のFUTABAのラジコン送信機。通称「シングルボタン打ち(方式)」と呼ばれていました。モールス符号のような信号を黒ボランを連打して送信することで、ラジコンボートや飛行機を操縦していたそうです。比較的安価とは言え1965年ごろの値段で1〜2万円したそうです。
「リード式マルチチャンネル(方式)」と呼ばれていた送信機。複数あるレバーを操作すると、電話のプッシュホンと同じように、ピー、ポー、パーの音を送信して、その音の種類で複数のサーボモーターを制御します。60年代末まで利用されました。サーボモーターがバタバタ動くだけで、比例制御はできませんでした。70年代からは、今在るのと同じ「プロポ」が出てきました。ただし、「リード式マルチチャンネル」も、初期のプロポも値段は、今の高級車ぐらいしたらしいです…
夢の図書館
そして、模型とラジオの博物館の裏側の扉付きのL字型の本棚が夢の図書館です。
マイコン雑誌
1975年ぐらいからのASCII、I/Oなどのマイコン雑誌が各種揃っています。
夢の博物館の本棚。留め金が外れていれば、プッシュすると扉が開きます。
年ごとに平積みされています。持ち出しできませんが館内で自由に手に取って閲覧できます。超懐かしかった!
実際私も持っていた工学社の月刊誌I/O。懐かしい♪お小遣いで毎月買っていたんですよね…当初は500円ぐらいだったかな?確認してくれば良かった…
アスキーの月刊ASCII 1992年7月号。2002年が10年先の未来だった時代。じっくり読みたいな…
ソフトバンクのOh!MZ。私はNECのPC-8801シリーズだったのでOh!PCを買ってました♪
徳間書店のテクノポリス。ゲームに特化した雑誌でした。
小学館のPOPCOM。私はあまり買いませんでしたが表紙を見る限り幅広い内容が掲載されていたようです。
先日、電子工作マガジンで復活した電波新聞社のマイコンBASICマガジン、略してベーマガ。パソコンやゲーム機のゲームの内容や数多くの機種のBASICで書かれた個人作成のプログラムが掲載されていて楽しかったですね。
ASCII 1980年1月号新年の挨拶広告
ペラっとめくってみて「おぉ!」と思ったのでちらっとご紹介します。
1980年1月号の月刊ASCII。ATARI800と関数電卓が表紙を飾っています。
Apple II/II Plusの広告。16KB RAMで328,000円。MAXの48KBで37,800円。10K BASIC ROMが65,000円!ひょえー。PASCAL言語にいたっては158,000円!
私には馴染みのないCommodole PET-2001-S。本体268,000円〜350,000円。FDDは340,000円!
NEC PC-8001。本体16KBで168,000円。32KBで192,500円。12インチカラーTVが219,000円または109,000円。 グリーンTVが48,00円。カセットレコーダ11,800円。うーむ。
ATARI 400/800。RAM容量8KBの400で198,000円、16KBの800で288,000円。ゲームの入ったROMカートリッジ各17,500円!きっと日本語も使えないんだろうから…よくPC-8001と戦ってましたねぇ。
海外のマイコン雑誌
一部海外のマイコン雑誌なんかも。
ALTAIR8800の発売をアナウンスするPopular Electronics 1975年1月号。
実は写真撮影用機材が配送中にダメにってしまいこんな感じのはず、とモックアップでの写真とのこと。上記のホンモノと比べてみてください。
技術雑誌・科学雑誌・学術誌・資料
技術雑誌・科学雑誌・学術誌・資料など。戦前の資料も!!
科学朝日1943年3月号。戦中に発行されていたもの。
戦争で使われる弾道表…大正6年。
貴重な科学朝日1948年8月号。
安藤肇氏の「電子で計算する機械」。エポックメイキングな論文だとのこと…
電子計算と制御1959年12月号。
同号の広告。日本ユニシスの前身であるバロースのメインフレーム。会社は高千穂交易株式会社。
同号の広告。日本アイ・ビー・エムの世界初のオールトランジスタ電子計算組織の広告。凄いな。
日本電子計算センターの電子計算機教程。超貴重なテキストだとのこと。
電気雑誌OHM(オーム)1959年3月臨時増刊号。ディジタル技術号。
電気試験所会報1969年1月。ETLの文字を見ただけで血湧き肉躍るらしいです…
マイコン博物館・模型とラジオの博物館・夢の図書館を利用するには
まだ正式オープンしていない状況ではありますが、私設の博物館、図書館ということもあり、正式に利用するには会員になり年会費を払い、1日利用券が必要となります。
一般の方の年会費は3,000円。1日利用券は1,000円となります。
小学生は無料ですが、保護者が会員となり、利用時に付き合う必要があります。
中高生は年会費3,000円かかりますが、1日利用券は500円となります。申込時に保護者の同意が必要ですが、利用時に付き合う必要はありません。
1人会員となっていれば同伴者は1日利用券のみでビジター利用することが可能です。
混雑を避けるため事前予約が必要です。
が、カフェサービスがあり(カンパ式1杯100円)、飲食持ち込み可能です(本を読みながらの飲食は不可。貴重な本なので)。
なので、1日ずっと滞在可能なのでエンターテインメントとして割安だと思います。
っていうか、ぜんぜんペイできないんじゃないかと不安になります。
100年分の技術雑誌を未来に伝える夢の図書館(マイコン博物館・模型とラジオの博物館)。
将来的には、L字型の本棚の内側には、工具や測定器を備えた工作机を置いて、「メーカースペース」にする予定とのこと。
また、工作だけでなく、読書やマイコン操作、DVD鑑賞もできます。
応援したいと思います!興味のある方はご協力お願いいたします!!